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Pan Records

戦前ブルース音源研究所

Pre War Blues Laboratories

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           【Charley Patton】


 

チャーリー・パットンの写真はこのカット一枚しかない。黒人らしくない顔立ちそして曲がった蝶ネクタイ。それが写真を撮影してから70年を過ぎたある日突然私達の前にチャーリー・パットンの全身写真が姿をみせたのです。

発見された写真はショッキングなものでした、椅子に座っていたのです!そしてギターをハワイアンスタイルの様にして構えていました。

発見当時は合成写真疑惑が浮上するほどの衝撃が走りました。LPの時代からでも40年間は顔写真しかなかったのですから無理もありません。定説や常識というのは時に真実を見落とすことになりかねないことがある、顔写真を唯一の情報としてインプットしてきた人々の心には疑念が湧き、その真実の姿が想像と掛け離れていたとすれば彼等の主張もわからなくもない。

次にご覧頂くフライヤーは、当時のパラマウントの広告です。パラマウントレコードは撮影した写真を元に忠実なイラストを起こしフライヤーとしてシカゴディフェンダーなどへ紙面広告を投稿掲載していたのです。このイラストには写真から切れているギターのヘッドが書き足されております。

これはチャーリーが持っているギターについての知識の無い者が適当に書き足したものであることが判る。もうご存知の方もいらっしゃるでしょうが このギターのメーカーはStromberg Voisinet (Kay)である。理由は左右非対称のチューニングマシン(ペグ)をみれば識別は簡単です。

 実際のヘッドの形は1920sに製造販売されたギターの現存写真(右)をご参考にして下さい。左のイラストは当時の写真がもともとヘッドが写っていなくイラストレーターが想像で描いたのではないだろうかという証拠にもなりましょうか。実際にイラストの様にヘッドが逆(左下がり)にカットされている当時のギターはRegal製のギターが存在しおりますがペグは左右が対象の位置にセットされており、このイラストの様なギターヘッドは存在しないのだと思います。

写真のポーズについても 色々と想像がされるところではあります。それはわざとハワイアンのスタイルを思わせるパフォーマンスとしてのポーズと多く言われてます。私の見解は違います、写真だけではなくてイラストを良くご覧下さい。写真では左手の下の部分が暗くてよく判断出来ませんがイラストにはハッキリと椅子の肘掛が描かれてます。この椅子に座るとギターは普通のポーズでは持つ事が出来ないのです、そのためにこのようなポーズとなっております。

更なる写真の検証がその事実を後押しします。


 さてチャーリー・パットンの写真はどこでいつ撮られたのだろうか?それはまったくの想像でしかなく写真が発見されたのはパラマウントの録音スタジオがあったウィスコンシン州 グラフトンという町でした。その為に写真の現在の所有者さえもグラフトンで撮影された可能性を示唆しておりました。

もちろんブラインド・ブレイクを初めとする他のミュージシャンもグラフトンではないか?との想像があります。1929年6月チャーリー・パットンは初録音をパラマウントレコードへ吹き込みます。録音場所は 「インディアナ州 リッチモンド」 ジェネットスタジオです。その録音曲の14曲のフライヤーはどれほど存在確認されているのかは不明です。私が確認した中ではリッチモンド録音のフライヤーにはパットンの写真のイラストはありませんでした。

余談になりますが手元(Pan Records 所有)にあるGennet studio の元帳のコピーには

Down The Dirt Raod Blues GE15215は Over Sea Blues という曲名で録音された曲であった事が確認出来ます。

                 

続く1929年10月、ウィスコンシン州 グラフトンのスタジオで録音を行っております。その後のフライヤーには写真のポーズのイラストが掲載されております。

 

  

 1929年10月以降の録音時に 写真の撮影をしたのだろうか?するとグラフトンで写真は撮られたという可能性が高くなり写真の発見場所とも合致する理由からグラフトンに2009年まで営業をしていた写真館の名が浮上する。 「マイケルフォトグラフィ」  この写真館は1872年からグラフトンで写真館を営んでいる。私が調査に訪れた2008年9月の時点では、5人目のカメラマンとなっておりましたが建物は当時のまま残っておりました。1926年から1976年まではウォルター・バーホップ氏がオーナーを勤めておりました。その後は私の友人マイケル・マーシューズ氏が写真館を引き継ぎました。もしもグラフトンで撮影したならば先代が撮影した可能性が高い。もしかしたらグラスネガティブ(ガラスのネガ)が残っているかも知れません。

 

更に1929年 10月の録音からパットンとセッション録音をした「ヘンリー・シムス」が重要な鍵となります。

 


 

    Henry Sims

このヘンリーの写真は あまり重要視されておりませんでした。もちろん私もグラフトンへ行くまではチャーリー・パットンのセッションの相方でフィドル(ヴァイオリン)を弾いていた人くらいの認識でした。それにヘンリーの写真がいつ撮られたのか?なんて興味はまったく持っておりませんでした。

 

 この写真を見て私はこの写真がチャーリー・パットンと同じスタジオであることに気付きました。グラフトン滞在中での出来事でしたのでその晩はみんなでSame!! Same!!と大騒ぎでした。それにしてもヘンリーの直立不動のポーズはなんでしょうか?せめてフィドルでも持っていればいいのに。 

 

 チャーリー「俺 こっちのスーツがいい」

ヘンリー 「俺だってそっちがいい 何だよこの丸首のジャケット ダサ!」

チャーリー「誰のお陰で来れたと思ってんだ お前なんかそれで充分だ」 
 
ヘンリー 「いや こっちがいい スーツ着たことないんだから こっちがいい よこせ!」 
 
チャーリー「うっせぇな こんにゃろ! こんにゃろ! ボカ!ボコ! パーンチ!」 
 
ヘンリー 「いてぇ・・くそぉ~ じゃいいよ! 写真なんていらねぇよ 録音もやめた!フィドル弾かねぇ」 

なんとも 険悪なムードである。。。 ニコリという作り笑いさえする余裕なし・・・

・・・・・・・・・・これは私が勝手に想像した 1929年....80年も前の....... 遠い昔の 出来事である。

チャーリー・パットンは フォトスタジオの貸衣装の争奪戦により スーツをゲット!

一方 敗れたヘンリー・シムスは チャーリーの右パンチを左目の上に一発! ぶん殴られて 瞼が腫れて かっこ悪い衣装を着せられて 直立不動である。カメラを見ようともしない・・・ 

さて勝ってスーツをゲットしたチャーリーは着てみたものの 小柄なチャーリーには ブカブカ。そのお陰で70年後に「身体に対して顔が小さすぎる」などと 合成写真疑惑を掛けられる羽目になる。
おまけに 肝心なギターはヘッドが途中で切れて写っていないし、コーヒーテーブルも中途半端。こりゃ!よく見りゃ顔の表情もこわばっている。いや 怒っている!

 

チャーリー・パットンの写真は これ一枚だけである。
ヘンリーは、最近発見され公開されたマディ・ウォーターズとの1943年の写真がありましたが 瞼は腫れてませんでした。

このマディとのセッションの写真! ヘンリーは得意のフィドルを弾いている真似のポーズ。                                               それに比べて 14年前の直立不動でフィドルも持たず そっぽ向いてふてくされた顔!
いやぁ~ 絶対 ぶん殴られたなこりゃ!

 


 

Memphis Minnie & Kansas Joe Mccoy  このジャケットの写真は私達が良く目にするものであるが実はこの白抜きされた部分にはさらなる驚愕な事実が写っている。この写真がある日 海外のオークションに掛けられた。 なんとこの写真はチャーリー・パットンとヘンリー・シムスが撮った写真館とまったく同じ場所である。カンサス・ジョーはなんとチャーリーと同じ椅子に座っているではないか!

この発見は 私のチャーリー写真検証で最大の発見となる。後のカーテンの弛みの陰や上からの飾りの形、更には壁の模様や板の目、椅子とテーブル!これは間違いなく同じスタジオである。

この3つの写真をこのように比べると全く同じスタジオであることが証明できます。

この2枚を重ねてみます。①のスライドカーテン?の位置と大きさを合わせます。すると②③の板の間の幅が合致します。

スタジオが同じであることは間違いない、オプションの椅子やコーヒーテーブル、バックグランドカーテンまで同じなのだから。

残るは場所の特定ですが、私はメンフィスだと思います。

メンフィス・ミニーとカンサス・ジョーの初録音は1929年の6月、偶然にもチャーリーの初録音と同じであるが、場所はニューヨーク。チャーリーとヘンリーが一緒に録音をしたのは10月ですから、それは録音の話が決まったあとにパラマウント側の意向で写真を撮ったのだと思います。メンフィス・ミニーとカンサス・ジョーの次の録音は1930年2月 場所はメンフィスです。 この4人の共通の場所にはメンフィスが想像できます。

グラフトンのマイケルフォトグラフィーでの検証では、バックグランドと呼ばれる布キャンバスに描いた油絵の壁紙はポーズなどにより交換し何枚もの絵を持っていました。白人のコミュニティにはそのような手法で撮影がされていたのでしょうが、メンフィス辺りの写真館で黒人のミュージシャンの写真を撮るような場所には撮影用のアイテムは2~3ヶ月の時期的差があっても代わりがない事も納得が行くところです。

それよりも 貸衣装・・・ 間違いなく借り物の衣装だと思うのですが、カンサス・ジョーが着ているスーツとチャーリー・パットンが着ているスーツ似ていませんか?スーツの襟の形がどうにも似て見えます。

とまぁ まとまりそうでは在りますが、そんなに簡単にわかっては面白くない。 Spoonful Blues GE15223(1929年6月録音)のフライヤーのイラストをご覧下さい、ポーズは異なりますが蝶ネクタイの曲がり具合がなんとも元の写真を見た事がある人が描いたような・・・おいおいそうするとリッチモンド録音の時に撮影したのだろうか?

このレコードがいつ発売になったのか?  Paramont 12869番のレコードで Shake It And Brak It / Spooful Blues のカップリングで販売されてます。ですがこのPm12896よりも若い番号の Pm12826 George Thomas : Fast Stuff Blues (L-17_2) / Don't Kill Him In Here (L-18_2) グラフトン録音1929年9月以降録音が先に商品として販売されている経緯があります。Geoge Thomasのフライヤーがシカゴディフェンダーに掲載されたのが1929年11月9日、するとチャーリー・パットンは既にグラフトンで録音を終えていたことになります。そしてSpoonfulのフライヤーがシカゴディフェンダーに掲載されたのは1930年1月11日です。そうこのレコードが商品化されたのは録音から半年以上が過ぎた頃であり、既にグラフトンにて2回目の録音も終えていた頃となります。

もしかしたら写真を撮ってないのでグラフトンの帰りに立ち寄ったどこかで撮ったのかも知れません。いずれにしてもヘンリーと一緒の旅の途中でしょう。ヘンリー・シムスやカンサス・ジョーらが健在の時の証言などは無いのでしょうか? 撮影スタジオの場所の謎は残ります。

そしてメンフィス・ミニーとチャーリー・パットンの接点は別にもある。 Spoonful Bluesが写真の真相を握るのかもしれない。 

 

最後となりましたが お気付きでしょうか? カンサス・ジョーのギターの持ち方。 この椅子の肘掛は邪魔です!【菊地】

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